Wakamats イベント「市民が考える脳死・臓器移植」の成果・資料公開



「脳死・臓器移植」を考えた市民パネルの活動記録 −専門家との対話から市民の提案へ−

市民参加研究会「市民が考える脳死・臓器移植」第3回(2005年2月26日)

「ヴァチカン会議を踏まえて脳死臓器移植を否定する」

渡部良夫(藤田保健衛生大学名誉教授、心臓電気生理学)

本研究会への参加依頼状を2月14日に受け取り、本日の出席を承諾しましたが、午前中の会議に出ることは難しく、午後の3グループに分かれての討論だけに出席することになりましたので、やむを得ずこの纏めを午前中に読上げて頂くことに致しました。

まず私が脳死臓器移植問題に関わるようになったのは、メディカルトリビューンという医学新聞からの依頼で、「心臓移植をめぐって、ある反対論者の主張」という論文を1990年に寄稿したことに始まり、1992年には梅原猛氏の編集で朝日新聞社から出版された「脳死と臓器移植」という単行本に医学界からの6人の一人として分担執筆しております。さらに2000年にオランダで出された「脳死を越えて――脳による死の判定への反証」という医学と哲学シリーズの英文論文集は、欧米などからの十数名の著者が脳死は人の死ではないことを医学・哲学・倫理学などあらゆる面から徹底的に論証しておりますが、これにも「脳死と心臓移植:日本における歴史的背景と引き続く論争」と題する一章を載せ、脳死移植推進論者の主張の矛盾を指摘して参りました。こうしたことから、今月3日と4日にヴァチカンのローマ法王庁科学アカデミーで行われた脳死に関する国際会議には、15名の基調講演者中アジアから唯一の代表として招かれ、討論を含めて1時間反対論を述べて来ましたので、その会議を概観しながら本問題の現状を纏めてみたいと思います。

まず15名中8名の反対論者は、(1)体温調節、血圧・心拍数や水と塩分の平衡維持等のの脳機能の健存を無視して、一部の脳神経反射の欠如のみにより脳死とする現在の判定法は全く不十分であり、(2)そうした脳神経反射の欠如が不可逆的であることを確証する方法はまだなく、単に推測しているに過ぎないこと、(3)大脳、小脳、脳幹のすべてが壊死に陥った小児が人工呼吸器の使用で十数年生存し、思春期から成人まで成長を続けた米国での実例や、脳死状態の妊婦が妊娠を継続して出産した例も少なくないこと、(3)臓器摘出時の皮膚切開により、しばしば血圧・心拍数の上昇や手足の激しい運動を来して麻酔を必要とすること(推進派はこれを脳幹の機能ではなく脊髄反射だと強弁するが、仮に脊髄反射だとしてもそれが痛みに対する反射であることを考えれば反論にはならない)等は、いわゆる脳死者が個体として統合された生理的機能を持つ生きた人間であることを示すものであり、更に(5)脳組織が未発達な胚や初期の胎児、脳そのもののない下等動物や植物も生物であることを誰でも認めている以上、一部の脳機能の欠如で個体の死を判定する根拠はない点などを挙げ、脳死を人の死とするのは科学的に明白な誤りであると論じました。また(6)人工呼吸器を止めて自発呼吸の有無を調べる無呼吸テストは、血圧の低下から脳血流の著明な現象を来して脳の障害を増強する為、脳死の判定法ではなく作成法であることが動物実験でも証明されているので、現行の判定基準から直ちに削除すべきであり、(7)脳に重い障害を受けた人には脳低温療法を行って脳死の発生を防ぎ、ドナー候補の人権を守るべきことも強調されました。

更に文化、倫理、宗教の面から人の死の判定には慎重の上にも慎重でなければならず、素人にも見える従来の三徴候死で遥かに確実に死が判定された場合ですら、埋葬や火葬までに24時間といった猶予期間をおくのが習慣となっているのに、医学的にまだ生きていると考えられる脳死状態の人から心臓や肝臓といった1個しかない臓器を摘出するのは、ドナーの死を早める行為であり、たとえ臓器移植が誰かの命を救う善行であっても、それに使われる手段が悪であればそれは許されないと結論づけた訳です。

一方7名の脳死臓器移植推進論者の議論は、脳死状態での長時間生存や妊婦の妊娠継続・出産は少数の例外であると強弁したり、現在の脳死判定基準で脳機能の不可逆的廃絶を判定できると何の根拠もなく繰り返し主張するだけで、反対論者への具体的な科学的事実や哲学的・文化的論理に基づく反論がなかったのは、極めて遺憾であると言わざるを得ません。また推進論者は、個人を個人たらしめている性格とか記憶は脳のみが持つ特性であり、脳死状態になればそれが失われるのでその個人は死んだと見なしてよいとの論理を持出しますが、心肺同時移植を受けた米国の女性が繰り返し夢に現れるドナーの青年の名前を悟ってしまい、彼の食べ物の好みや性格までそっくり受け継いだ実例(これに類することは他にも多数ある由です)などからは、記憶が脳だけの所有物ではないこと、臓器は交換可能な部品ではなく人格の一部とさえ言えることを明確に示しているのではないでしょうか。

こうした討論の後、貴重後援者とオブザーバーを合わせて14名の反対論者が署名した「脳死で人の死を判定し、その状態で臓器を摘出するのは誤りである」との声明文を提出して、二日間の国際会議が終わりましたが、以上をまとめれば市民の方々から出された御質問に対する答えは自然に出てくるものと思います。臓器移植によって何人かの命を延ばすのは目先の利益に過ぎず、足りない臓器を待たされるレシピエント候補者に他人の死を期待する感情を起こさせて未来永劫人間精神の荒廃を来す移植医療を、マスコミや政府が推進し、いわば合法的殺人を奨励している現状が、今日の殺伐とした社会を生み出す一因となっている可能性をも指摘して、私の意見の表明を終わります。