Wakamats イベント「市民が考える脳死・臓器移植」の成果・資料公開



科学技術への市民参加型手法の開発と社会実験 −イベント「市民が考える脳死・臓器移植」を中心に−

第5章 「市民が考える脳死・臓器移植」の実施過程

三上直之

1. イベント第1日目−−基礎知識をまなぶ

イベント第1日目は、2005年1月29日(土)午前10時から、東京都千代田区一ツ橋の日本教育会館で開催した。参加者は、市民パネル17人、専門家6人、傍聴者10人、報道関係者8人。ファシリテーターは、庄嶋孝広氏・深田祐子氏(東京ランポ)、水谷香織氏(岐阜大学)が担当した。この日の課題は、市民パネルが、専門家や説明者から情報提供を受けて、脳死・臓器移植に関する基礎知識を学習することであった。

午前中は、市民パネルだけが参加し全体会を行った。主催者を代表して若松が開会挨拶と趣旨説明を行った後、市民参加者が一言ずつ自己紹介した。その後、4人の説明者が「脳死・臓器移植のABC」と題して、以下の通り課題に関する基礎知識を解説した(敬称略)。

午後からは、主催者が依頼した専門家6人が、事前に主催者から伝えておいた三つの質問に答えるかたちで、脳死・臓器移植に関する基本的な知識・情報を提供した。専門家が答えた質問は、以下の通りである。

6人の専門家は、当日事務局がくじ引きによって決めた順番に従って、それぞれ約20〜30分ずつで市民パネルに向けてプレゼンテーションを行った。

埼玉医科大学教授の佐藤章氏(脳神経外科・救急部)は、脳死は人の死かという問いを、「脳死での治療続行はご本人にとってfutile(有益な意味がない)であると考えられるか」と捉え直し、「futileとするのであれば、治療中止、臓器提供も本人にとって意味があることになる」と述べた。その際、「大切なのは(医療経済面・医療従事者側にとっての意味ではなく)本人にとってどうかということ」であり、また「倫理的に認められたとしても、脳死下(心拍動下)での臓器摘出には、法的な裏づけが必要となる」とした。また、脳死移植の利点としては、移植以外の方法で助けられない心臓、肺疾患の患者さんの命が救える可能性があることや、心停止後移植が可能な臓器でも新鮮な臓器が使えること、移植医療全体の進歩への貢献があると述べた。その一方で、「倫理的側面の議論が不十分」「脳死判定が粗雑になっていく可能性」「心停止後移植の停滞」などの問題点を指摘した。

東京海洋大学教授の小松美彦氏(科学史)は、脳死・臓器移植について考える際には、「抽象的な一般論だけではなく、自分に引き寄せて熟考し、その上で自分たちと同様の具体的な生身の人間の問題として考えなければならない」と述べた。資料として、「ラザロ徴候」を示す脳死者のVTRを市民パネルに見せながら、「心臓が拍動しており、触ると温かく、汗も涙も流し、出産も可能で、時には激しく動き、ラザロ徴候さえ示す者が、何故に死んでいるのか」とし、「脳死は人の死ではない」との考えを示した。そして、脳死者からの臓器摘出は「医療殺人」であり、命の価値を両天秤にかけることであり、救命医療がなおざりになるなどの問題があると指摘した。脳死移植の今後については、臓器移植法の撤廃、代替医療の研究・開発、脳死者を出さず回復させるための努力が必要だと述べた。

日本臓器移植ネットワークの菊地耕三氏(チーフ移植コーディネーター)は、日本の脳死移植の現状と、脳死下臓器提供のシステムについて解説した。現在の制度では、本人が臓器を提供する意思、および脳死判定に伴う意思を書面で表示していること、家族が臓器提供および脳死判定を拒まないことが、脳死下での臓器提供の条件であり、「臓器移植を前提として法律に規定する脳死判定により脳死と判定された場合、脳死は人の死となる」と説明した。脳死移植の良い点として、亡くなる命が救われること、QOLが向上することを挙げる一方、問題点として、臓器不足のために生体移植や海外渡航移植などが必要になっていることを挙げた。

3人のプレゼンテーションに対して、約15分間、市民参加者からの質疑が行われ、その後、約20分間の休憩をはさんで、後半3人のプレゼンテーションに移った。

山梨大学大学院教授の香川知晶氏(倫理学)は、個体の死とは「生物的に判定されるある状態を社会が死として受け入れる」ことであり、「誰でもがほとんどの例外なしに死として受け入れる状態、死に対してもっている素朴な感情に反しない」ことが個体の死の条件となると述べた。この点で、脳死という状態は個体の死の条件を満足させておらず、「脳死を人の死とする考え方には、大きな無理があるのではないか」とした。この無理は、臓器獲得のために〈脳死=人の死〉とするところから生じており、「少なくとも長期的にはマイナス面の方が大きいのではないか」と述べた。そして「臓器移植は緊急避難的手段であって、厳しい制限がつかざるをえない」との判断を示した。

京都大学病院長の田中紘一氏(移植外科)は、移植医の立場から移植手術の実際について、肝臓移植の場合を中心に情報提供した。移植によって健康を回復した患者の例を挙げながら、摘出から移植、術後管理までの臓器移植成功までのステップや、拒絶反応、肝移植後の感染症などについて説明した。また、肝移植の適応基準や移植手術の時期、肝臓移植手術の対象となる病気などについても解説。脳死移植において、レシピエントの待機中からドナーの発生、移植手術の実施までのプロセスを説明した。

横浜国立大学大学院助教授の辰井聡子氏(刑事法学)は、「法律的には、脳死は人の死である」と述べた。その根拠として、臓器移植法が、脳死体からの臓器摘出を認めているという法文上の根拠に加え、「実質的な根拠」として、「心臓死だけでなく脳死の場合にも死を認めることは、『統合された生命活動が不可逆的に停止することが死である』という死の定義を採用することである。この定義は、法的な死の定義として適切であり、社会的合意も得られている」ことを挙げた。脳死移植の現状と今後に関しては、脳死移植は「正当な医療行為の一つであり、希望する人には、提供されることが望ましい」としたうえで、「臓器の提供の有無が、単なる無関心や怠惰の結果であってはならない」と述べた。そして、「潜在的に『臓器を提供したい』『してもよい』と考える人が、当たり前に臓器を提供できるような環境・制度が整備されることが必要である」とし、その例として、提供意思表示方式から反対意思表示方式への変更などを挙げた。

6人の専門家全員のプレゼンテーションが終わったところで、再び市民参加者からの質疑を行い、さらに専門家同士の間でも意見交換を行った。このなかで市民参加者から、臓器移植法の改正に向けた動きがどうなっているのか解説してほしいとの要望があり、この点については、事務局が、可能ならば第2日目以降に情報提供すると答えた。以上、第1日目は午後5時に閉会した。

2. イベント第2日目−−鍵となる質問をつくる

イベント第2日目は、1週間後の2月5日(土)午前10時から、東京都千代田区北の丸公園の科学技術館で開催した。参加者は、市民パネル16人、傍聴者5人、報道関係者1人であった。ファシリテーターは、庄嶋孝広氏(東京ランポ)、水谷香織氏(岐阜大学)、三上直之(事務局)が担当した。市民パネルは最初17人であったが、1人が仕事の都合で途中辞退し、この日から16人となった。この日の課題は、第1日目の情報提供を受けて、市民パネルだけ議論して疑問点・問題点を整理し、専門家への「鍵となる質問」をまとめることであった。

この日、第1日目に市民参加者から出された要望に基づき、事務局が説明者と相談のうえ作成した「法改定に向かっての動き」資料(A4判1ページ)を配布した。

午前中は、事務局とファシリテーターが事前にくじ引きを行って決めた3グループに分かれ、約30分かけて、第1日目の情報提供から得た感想を「意見カード」(大判の付箋紙)に書きながら出し合った。感想としては、納得できたこと、納得できなかったこと、脳死・臓器移植に対する意見・感想などを書き出した。

続いて全体会に戻り、記入した意見カードを一人ずつ順番にコメントを述べながら発表し、模造紙上に貼り出していった。出されたカードをファシリテーターの水谷氏・三上が構造化を意識しながら、模造紙の上で整理・分類し、これをたたき台として、意見カードの構造化を進めていった。午前中が終わる段階で、意見カードの内容についてファシリテーターが五つの分類を提案、これをもとに(1)考え方・枠組み、(2)脳死、(3)医療、(4)社会、(5)制度という五つの大きなテーマに関して、鍵となる質問を作成していくことが決まった。

午後は、3グループに分かれ、くじ引きで分担したテーマについて、意見カードの構造化をさらに進めつつ、それぞれのテーマに関して、専門家への鍵となる質問の文案を作成した。この段階の作業は、事前に細かくルールを定めていなかったこともあって、質問文案の完成度や数、まとめ方などに関して、グループによって差が出ることになった。

その後、午後2時半すぎから全体会に戻り、各グループが作成したテーマの構造化と質問文の案を、市民パネル全員で検討した。この際、当初のプログラムでは、約1時間半の全体会の後、グループに分かれて鍵となる質問の最終的な文章化作業を行い、それを最後に全体会で確認することが予定されていたが、全体会での検討に予想以上に時間がかかったため、グループでの文章化作業は行わず、最後まで全体で議論を行った。

五つのテーマについて、一つずつ順番に市民パネル全体で検討し、各テーマに関してどのようなことを質問するかについて決めることはできたが、最終的な文章化までを終えることはできなかった。そこで、市民パネルの議論内容を、事務局が質問のかたちで文章化することについて市民パネルの了承を得て、第2日目は午後5時に閉会した。

3. イベント後半に向けて−−質問の文章化と設計修正

第2日目が終了した後、事務局では、市民パネルの議論を専門家への「鍵となる質問」として文章化する作業を行った。この際、五つの大きなテーマや、各テーマ内部の構造化については、市民パネルの作業結果をそのまま用いた。また、市民パネルがすでに質問文を完成させていたものについては、それを使用することとし、質問の内容は議論されていたが表現を確定するところまで至らなかったものに関してのみ、議論の内容に沿って、文章化を行った。

専門家に送る質問文書の作成にあたっては、質問が生まれた背景を専門家に知ってもらうために、質問文そのものだけでなく、元となる意見カードの内容も全て書き込んだ。この詳細版はA4判6ページにも及ぶものとなったため、別に、便宜のために質問文だけを抜き出した簡略版(A4判2ページ)も作成した。質問の内容は、資料のとおり、考え方・枠組み、脳死、医療、社会、制度の5テーマにわたって、細目まで含めると、約30項目の質問が並んだ。

詳細版および簡略版の「鍵となる質問」は、2月12日に、第3日目に参加する9人の専門家へ郵送された。

また、主催者側では、第2日目までの経過を踏まえて、第3日目・第4日目のプログラムについて見直しを行った。とくに、第2日目、市民パネルだけで鍵となる質問をまとめる作業では、時間が不足して、市民参加者同士の対話が十分なされなかったため、当初は第2日目と同様の設計としていた第4日目のプログラムを、若干修正することにした。具体的には、午前中の2時間を全体会中心に進める予定としていたものを、グループ討論中心に切りかえ、市民参加者同士が少しでも多く意見交換できるようにした。また、終了時刻を約40分繰り下げ、午後のグループ討論や最後の全体会の時間を延長した。さらに、意見の分類・整理や文章化については、事務局スタッフが支援することとし、例えば、午前中の議論を踏まえて昼休み中に事務局が「市民パネルによる理解」の原案を作成し、それをたたき台に午後の討論を進めることにした。

これに加えて、限られた時間で市民パネルとしての提案文書を完成させるために、以下のような合意のルールを定めることにした。

「市民の提案」作成にあたっての〈合意〉のルール

これらの修正をふまえて、事務局マニュアルを作成し、参加者用のプログラムも書き換えた。さらに、第4日目にまとめる「市民の提案」について、市民パネルの作業を助けるため、事務局が文書の形式を例示したモデルを作成し、配布することにした。

4. イベント第3日目−−専門家と対話する

イベント第3日目は、2月26日(土)午前10時から、日本教育会館で開かれた。参加者は、市民パネル16人、鍵となる質問に答える専門家9人、傍聴者7人、報道関係者2人であった。専門家9人は、一人を除き第1日目とは異なるメンバーであったが、移植医や脳神経外科医、法律学者、移植経験者、当事者団体・意見団体の関係者、ジャーナリストなど、関連する多様な分野・立場から情報提供できる方々に参加していただくことができた。ファシリテーターは、第1日目と同様、庄嶋孝広氏、深田祐子氏、水谷香織氏が担当した。この日の課題は、市民パネルが専門家から鍵となる質問への回答を聞き、そのうえで専門家と直接対話することであった。

午前中は、まず主催者を代表して若松から、第2日目までの経過とその成果である鍵となる質問が紹介された。その後、9人の専門家(うち一人は所要で午後から出席のため、事務局が代読)が、鍵となる質問への回答を一人約8分ずつで発表した。9人の専門家には、事前にA4判1枚のレジュメを用意していただくよう依頼してあったため、専門家の回答は主にレジュメに沿って行われた。なお、各専門家は、多岐にわたる質問項目のうち、自らの専門分野から答えられる質問に対して回答したため、それぞれの専門家が必ずしも全ての質問に回答したわけではない。

NPO法人「日本移植者協議会」理事長の大久保通方氏は、20年前に家族から腎臓の提供を受けた移植経験者の立場から質問に答えた。脳死は本当に人の死かとの質問に対しては、「医学、科学的には『人の死』として認められている」としたうえで、三徴候によって死亡と判断された人の場合、脳死よりまだ脳の状態は良く、「その意味では三徴候死は脳死に至る過程と判断するのが適切だ」と述べた。また、「移植者のほぼ90%が社会復帰し、3分の2は一般の人たちとほとんど変わらない日常生活を送っている」とし、「臓器を提供したい意思、したくない意思、臓器提供を受けたい意思、受けたくない意思、この四つの意思(権利)を守りながら、できるかぎり一人でも多くの人を救うことを可能とする制度、仕組みを整備することが必要」と述べた。

千葉県救急医療センター脳神経外科部長の小林繁樹氏は、「『脳死』は単に『脳の不可逆的障害によって確実に死にいたる局面』を意味しているに過ぎない」とし、「『脳死』と『死』を同意とするには無理がある」との考えを示した。しかし一方で、「経験的には現在の判定基準を遵守するかぎり、脳死診断を誤ることはない」との印象を持っているとし、脳死下での臓器摘出は「少なくとも科学的には問題がないと思いますし、私自身も『脳死』と判定された後は自分の臓器を提供してもよい」と述べた。脳障害の人を助けるための医療がなぜ進まないのかとの質問に関しては、精力的な研究はなされているが「残念ながら脳死に至るほど重篤な障害についてはあまり有効な治療法は確立されていない」と答えた。また、救急医療の現場に携わる医師の本音として「救命医療に専念することは本意だが、極めて煩雑な『脳死判定』や『臓器提供』に関わることはむしろ気が重い。しかし、移植でしか助からない患者がいる現実があることから救急医は臓器移植に協力している」と述べた。この点についての議論は「スタッフ間では頻回に行われている」とした。

藤田保健衛生大学名誉教授の渡部良夫氏(心臓電気生理学)は、2005年2月にローマ法王庁科学アカデミーで行われ、自らも基調講演を行った、脳死に関する国際会議での議論を紹介しながら、脳死移植への反対論を展開した。「医学的にまだ生きていると考えられる脳死状態の人から心臓や肝臓といった1個しかない臓器を摘出するのは、ドナーの死を早める行為であり、たとえ臓器移植が誰かの命を救う善行であっても、それに使われる手段が悪であればそれは許されない」と述べた。さらに、「臓器移植によって何人かの命を延ばすのは目先の利益に過ぎず、足りない臓器を待たされるレシピエント候補者に他人の死を期待する感情を起こさせて未来永劫人間精神の荒廃を来す移植医療を、マスコミや政府が推進し、いわば合法的殺人を奨励している現状が、今日の殺伐とした社会を生み出す一因となっている可能性がある」と指摘した。

大阪大学大学院教授の高原史郎氏(先端移植基盤医療学)は、「脳死は本当に人の死ですか」との問いに、「YES」と答えたうえで、脳死判定は「99.9%正しいと考えています」とし、脳死判定基準についても「国によって少しずつ異なりますが、日本の基準は厳しいもの」と述べた。脳死者は臓器提供以外に存在意味はないのかとの質問には、「無いと考えます」と答えた。また、脳死・臓器移植に関する社会的合意については、「完全な社会的合意は不可能。立法行政として『どこで線引きするか』が重要」との考えを示した。

「『脳死』・臓器移植に反対する関西市民の会」の守田憲二氏は、脳死は本当に人の死かという質問に対して、「動くこと、新たな生命を産むことは生命の基本的な性質であるから、動き出産しうる状態を『死』という認識が間違い」であると答えた。「脳死判定を覆すまで蘇った例が多数ある」ことから、便宜的にも脳死は人の死とはできない、と述べた。臓器移植コーディネーターの中立性に関しては、「日本臓器移植ネットワークの臓器移植コーディネーター以外に、都道府県委嘱および無資格院内移植コーディネーターがおり、入院時からドナーカードの有無・病状の把握を行っている」と指摘した。「臓器移植は、他人の命を短縮し尊厳を傷つけモノ化し自分が長生きすることであり、私は受けない」とし、臓器提供意思表示カードについても「自殺を確実にしたい時だけ持つべき」と述べた。

第1日目に続いて参加した山梨大学大学院教授の香川知晶氏(倫理学)は、改めて「脳死と呼ばれる状態を人の死だとすることには大きな無理がある」と述べた。この無理を見やすくするために、香川氏は、脳死という言葉が普及する前に使われていた「不可逆的昏睡状態」という言葉を使って、問題を「不可逆的昏睡状態の人は死んでいるのか」と言い換えることを提案した。不可逆的昏睡状態は、現在の医療では手の施しようのない状態かもしれないが、「もう助からないということと死んでしまったということの間には距離があるし、その距離のありかたはその時、その時で様々であり、人によって様々にならざるを得ない」と述べた。不可逆的昏睡が臓器移植と結びつくのは、そうした多様性の中でしかないため、臓器摘出に同意する人も含めて、人々の多様な意思を生かす形を基本とするしかなく、「その意味で厳しい制限がつかざるを得ないだろう」と述べた。

上智大学大学院教授の町野朔氏(刑法学)は、現行の臓器移植法の基本構造について解説したうえで、現行の臓器移植法には明示されていないが、脳死は人の死であると考える必要があると述べた。その根拠として町野氏は、生きている人を殺してよい、あるいは死にそうだから殺してよいという理由はなく、またドナーとレシピエントの命の価値を比較することも許されない以上、脳死は人の死であると考えないと、脳死下での臓器提供は認められないことを挙げた。また、現行法の問題点として、本人の書面による意思表示を条件としたために臓器提供が困難になっていることや、小児への心臓移植が事実上不可能になっていることなどを挙げた。法改正の方向として、小児臓器移植についてだけの特例を設けること、最初に提出された法案の考え方に戻ること、という二つの方向性を示した。

ジャーナリストの粥川準二氏は、鍵となる質問のうち、「社会」について扱った項目4に絞って回答した。情報公開や報道の現状に関して、移植関係者・報道関係者ともに、できる限りの情報公開や情報提供、報道に努力していると信じたいとしながらも、「残念ながら、現状では不十分」との認識を示した。とくに「レシピエント側に立った報道は数多く存在する一方で、ドナー側の問題を追求する報道は少ない」という問題を指摘した。また、「臓器移植は人体の商品化を促していませんか」との質問に対しては、「促していると思う」としたうえで、「正確にいえば、人体の資源化≒商品化という大きな流れのなかで、脳死・臓器移植が存在するというべき」と述べた。「人体はすでに、研究段階では研究資源として、臨床段階では医療資源として、それらの主体が民間企業であれば産業資源として、さまざまなレベルで、さまざまな目的で使われている」とし、脳死・臓器移植もその中に位置づけて考えるべきだと述べた。

腎移植経験者で作家の澤井繁男氏(関西大学教授)は、脳死は医学の分野の問題であり、移植は医療の領域の問題であり、「脳死という概念が、いまだ科学的真理として是認されているかどうかさえ確定的でない現在の日本文化の中では、移植医療と一緒に論ずるのは大変危険」と指摘した。そのうえで質問への回答として、項目1の「考え方・枠組み」については、市民パネルが挙げた枠組みに加えて、「健常者と身体障害者」という観点も加えてほしいと提案した。澤井氏自身は、現在は病を患っていないので「健常者ではないが健康だ」と考えているが、「医療従事者の中でも、この視座に立って把握できる方がどれくらいいるかいつも疑問に感じている」と述べた。また、脳死・臓器移植がいかにあるべきかの議論は、「専門家といわれる方々の意見は、意見としての意見であって、解釈の域を出ていない場合が散見される」ので、必ず体験者も加えて行われるべきだと主張した。

全員のプレゼンテーションが終わったところで、専門家同士が互いの回答について意見交換した。その中では、脳死は人の死であるか否か、またその理由は何かなどの点について、異なる見解を持つ専門家の間で意見が交わされた。

昼食をはさんで午後は、計2時間半を使って、市民と専門家とのグループ討論を行った。第3日目の開始前に、事務局・ファシリテーターがくじ引きを行い、市民パネル・専門家を、それぞれ3グループずつに分けておいた。市民パネルの3グループが専門家3組と50分交替で討論するという形式を取った。専門家の組分けは以下の通りであった(敬称略)。

A組
  • 香川知晶(山梨大学大学院教授・倫理学)
  • 高原史郎(大阪大学大学院教授・先端移植基盤医療学)
  • 小林繁樹(千葉県救急医療センター脳神経外科部長)
B組
  • 澤井繁男(腎移植経験者・作家・関西大学教授)
  • 守田憲二(「脳死」・臓器移植に反対する関西市民の会)
  • 渡部良夫(藤田保健衛生大学名誉教授・心臓電気生理学)
C組
  • 大久保通方(NPO法人日本移植者協議会理事長)
  • 粥川準二(ジャーナリスト)
  • 町野朔(上智大学大学院教授・刑法学)

このグループ討論は、市民と専門家との対話を深めることを狙いとする今回の新手法(ディープ・ダイアローグ)の一つのハイライトであった。午前中の専門家からの回答を踏まえて、各テーマに関して、市民パネルが専門家に対してさらに質問を行った。ここでの議論の内容については、その場で、事務局がカードと模造紙を使って記録し、その後、文書化し第4日目に参考資料として市民パネルに配布した。

グループ討論では、鍵となる質問で掲げられた五つのテーマ全般にわたって、市民パネルから活発な質疑がなされ、個別の論点に関して、専門家との間で実質的な対話が行われた。また、専門家との対話の合間に、市民パネル同士が質問や回答の内容について意見を交わす様子も頻繁に見られた。

グループ討論の後、全体会に戻り、各グループの代表者が討論内容を全体に報告し、それを聞いた専門家から、一人ずつ、市民パネルのまとめで誤解のある点についての追加説明や、再度強調したい点についてのコメントをしてもらい、午後5時に閉会した。

終了後、市民パネルにアンケートしたところ、「専門家同士の話し合いを聞けてよかった。もっとほしい」「提出した質問に正面から答えていない専門家もあったが、全体として大変立派な専門家を集められた」「3回の中で一番よかったが、もう少し頭を整理する時間がほしかった」など、全体として充実した議論ができたとの感想が聞かれた。「今日の会議の進め方に、全体として満足していただけましたか?」との質問に、16人の市民パネルのうち15人が「そう思う」または「どちらかと言えばそう思う」と答えた。一方で、「午後3グループに分かれず全体会でもよかったのでは? 専門家の人は同じ質問に対する繰り返しを3回した印象を受ける」「圧倒的に時間が足りなかったです。かなり無理をして論点を小さくしてしまった。鍵となる質問が有効につかわれていなかった(答えて頂けてない)」などの問題点の指摘もなされた。

5. イベント第4日目−−市民の提案をまとめる

イベント最終日となる第4日目は、3月5日(土)午前10時から、日本教育会館で開催した。参加者は、市民パネル16人、傍聴者7人、報道関係者4人であった。ファシリテーターは、第3日目に引き続き、庄嶋孝広氏、深田祐子氏、水谷香織氏が担当した。この日の課題は、第3日目までの成果を踏まえて、脳死・臓器移植に関して「いま社会として何をどう考えるべきか」について「市民の提案」をまとめることであった。

最初に、事務局から、第3日目の専門家との討論の内容をまとめたメモを示し、第4日目のスケジュールと課題、最終的な成果(市民の提案)のモデルについて説明した。提案を作成するうえでの「合意のルール」(先述)についても説明した。そのうえで、午前中は約1時間半を使って、事務局とファシリテーターがくじ引きを行って決めた3グループに分かれて、市民の提案の内容となる、A.理解(専門家との対話から何が分かったか)と、B.提言(今後、何をすべきか)を中心に、第3日目までの感想を意見カードに書きながら自由に述べ合った。第2日目と同様、意見カードを模造紙上に出しながら整理・分類し、大きなテーマに整理した。その後、全体会に戻り、各グループの代表者が議論の結果を報告した。

午前中の議論に基づき、昼休みに事務局が、各グループから議論の内容を整理・分類した。当初のプログラムでは、この段階で、市民の提案のうち「専門家の話から何が分かったか」という「理解」の部分に関しては、文章化した案を事務局において作成し、午後の冒頭に提案する予定になっていた。しかし、作業時間が足りなかったため、昼休みの作業は出された意見カードを六つのテーマに再整理することにとどめ、文章化の支援は、午後のグループ討論と並行して行うことにした。

午後は、まず全体会で、事務局が意見カードを六つのテーマに整理した原案を発表した。これをもとに市民パネルが議論をし、市民の提案のテーマ構成を決め、三つのグループで分担した。この後のグループ討論では、1時間強かけて、各テーマについての市民の提案の文章化作業を行った。この時点で、ファシリテーターに加えて、事務局スタッフが各グループに2人ずつ書記係として付いて、「市民の提案」の文章化作業を支援した。具体的には、事務局スタッフが、市民パネルの議論を聞きながら市民の提案を構成する「理解」や「提言」の文案を作成して市民パネルに提示。これをたたき台として、市民パネルが議論をして、市民の提案の原案をつくる作業を進めていった。

そして、最後に全体会に戻り、各グループで作成した原案を一項目ずつ約2時間かけて検討した。最終的には、(1)脳死、(2)脳死判定、(3)意思表示、(4)医療としての臓器移植、(5)情報、(6)その他−−の六つのテーマに関して「市民の提案」をまとめた(詳細は資料参照)。

「市民の提案」はまず、脳死に関して、専門家からの情報提供に基づいて「脳死は『生』の状態か『死』の状態か専門家の間でも意見が分かれる。『脳死』は『生』の状態とも『死』の状態とも断定できないということを理解した」とまとめた。また、脳死判定に関しては、「脳死判定基準に厳密にしたがって判定が行なわれていると理解した」ものの、「脳死判定基準について適正かどうか、専門家の間で見解が異なる」「医療従事者すべてが脳死や移植医療を正確に理解しているわけではない」などの問題があるため、「市民を含む第三者機関が脳死判定基準の妥当性を科学的に検証する必要がある」と提言した。さらに、医療としての臓器移植のあり方については、「『移植医の認識』として、脳死臓器移植以外の医療は当面の間期待できない、ということがあり、脳死臓器移植は過渡期的な医療として必要である」と理解したうえで、「『最終的には脳死臓器移植を必要としない医療(再生医療、人工臓器等)にしていく』という方向も進められていくべき」と提案した。このほか、脳死・臓器移植に関する情報提供や臓器売買をめぐる理解や提言を含め、提言は大きく六つの項目に分けてまとめられた。

この内容を市民パネル全員で確認したうえで、予定を約30分すぎた午後5時すぎに4日間の全日程を終了した。閉会後、事務局が会場内で記者発表を行い、「市民の提案」の内容を読み上げ、提案が作成された経過について説明したうえで、報道関係者の質問に答えた。

「市民の提案」は、イベント終了後、事務局において清書し、マスメディアや関係者に配布した。