Wakamats イベント「市民が考える脳死・臓器移植」の成果・資料公開



「脳死・臓器移植」を考えた市民パネルの活動記録 −専門家との対話から市民の提案へ−

市民が考える脳死・臓器移植----専門家との対話を通じて(第3回)
話題提供資料----「鍵となる質問」への回答

粥川準二(ジャーナリスト)
2005年2月26日 日本教育会館

4.(1)[1]脳死・臓器移植について、適切に情報公開や情報提供がなされていると思いますか。また、今後の情報公開・情報提供(教育も含む)をどのように行っていくべきだと考えますか。

[2]この問題に関する報道の現状について、どのように考えますか。また今後の報道はどのようになされるべきだと考えますか。

脳死・臓器移植の関係者、報道関係者ともに、できる限りの情報公開や情報提供、報道に努力しておられると信じたい。しかし残念ながら、現状では不十分だと思う。

たとえば、小松美彦氏も近著『脳死・臓器移植の本当の話』(PHP新書、2004年)で指摘しているように、心臓移植を望む親子を追ったドキュメンタリーなど、レシピアント側に立った報道は数多く存在する一方で、ドナー側の問題を追求する報道は少ない。なかでも臓器摘出の決定的な場面を伝える映像は、小松氏によれば、1990年に放映された「NHKスペシャル」のみとのこと。また、移植後のレシピアントの余命データや、脳死者の身体が動く現象(ラザロ兆候)などについても、ほとんど知らされていない。

報道についてだけ述べると、私は1人のジャーナリストとして、ジャーナリズムの不偏不党、客観中立など信じていないし、そうであるべきだとも思わない。しかし、脳死・臓器移植がレシピアントのみで行なわれることは論理的にいってありえない以上、ドナー側に存在する問題もレシピアント側のそれと少なくとも同じていどに知らないと、脳死・臓器移植についての賛否の判断は、誰にとっても不可能なはずである。

(3)臓器移植は人体の商品化を促していませんか。

促していると思う。いや、正確にいえば、人体の資源化≒商品化という大きな流れのなかで、脳死・臓器移植が存在するというべきであろう。その流れとは、具体的にいえば、「バイオテクノロジー(生物工学)」と呼ばれる技術の医療への応用であり、その普及である。「生物医学」と呼んでもいい。脳死・臓器移植もその中に位置づけられるだろう。バイオテクノロジーあるいは生物医学がほかの科学技術と徹底的に異なる点は、その材料に石油や石炭ではなく、人体を用いることである。人体はすでに、研究段階では研究資源として、臨床段階では医療資源として、それらの主体が民間企業であれば産業資源として、さまざまなレベルで、さまざまな目的で使われている(表1〜3)。

日本政府はこれを産業政策として国家的に推進している。しかしその資源となる人体部品の提供は、原則として、インフォームド・コンセントを得たうえでの無償とされている。つまり利潤が発生したとしても提供者に渡ることはない。脳死・臓器移植との関連でいえば、たとえば厚生科学審議会の「ヒト組織を用いた研究開発の在り方に関する専門委員会」が1998年12月にまとめた答申に、「移植不適合臓器については、現行法上、研究開発に利用することは不可能であるが、臓器移植法の見直しの際には、諸外国と同様に、それらを研究開発に利用できるよう検討すべきである」という一文があることに注意したい。

表1 人体資源の供給源

表2 人体資源の主なバリエーション

表3 人体資源の主な利用目的